信頼できるデータがないと起きること
Stage 1 — 第1章 | データマネジメント入門 推定学習時間:30〜40分 | 難易度:★★☆☆☆
この章で学ぶこと
SQL で集計が書けると、最初は「必要な数字は自分で出せる」という感覚があります。 ところが実務に入ると、数字そのものより先に 「その数字を信じていいか」「会議で説明できるか」 で止まることが増えます。
この章では、データマネジメント(Data Management、データを信頼できる資産として扱う仕組み)が必要になる 典型症状 を、架空 EC 会社「さくら商事」の例で見ていきます。
この章を終えると、こんなことができるようになります:
- 「売上が合わない」など、現場でよく起きる症状を具体例付きで説明できる
- その症状が SQL の書き方ではなく、定義・品質・責任の問題である場面を見分けられる
- データマネジメントが「ツールの話」ではなく「意思決定を守る話」だと説明できる
- 次の章以降で学ぶ用語(SSOT、品質、ガバナンス)の 必要性 を自分ごととして理解できる
1. さくら商事という会社
このカリキュラムでは、全 Stage を通して同じ架空会社 さくら商事 を例にします。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 業態 | 日用品・食品の EC。実店舗は少数 |
| 主要データ | 注文、顧客、商品、在庫、広告、CS 問い合わせ |
| データの置き場 | 本番 DB、社内 DWH(Data Warehouse、分析用データ基盤)、部署別 Excel / Google Sheets、Looker Studio、SaaS レポート |
| 利用者 | 経営、営業、マーケ、CS、経理、データ基盤チーム |
さくら商事には、優秀なアナリストもいます。 SQL も書ける人がいて、ダッシュボードも複数あります。 それでも経営会議の冒頭 10 分が、いつも同じ問題で埋まっています。
よくある会議の始まり方
経営の木村さん:「今月の売上、いくらでしたっけ?」
マーケの田中さん:「Looker では 1 億 2,000 万円です。」
経理の佐藤さん:「うちの集計では 1 億 1,500 万円です。差は何ですか?」
データ基盤の鈴木さん:「SQL では 1 億 1,800 万円でした。定義、どれ使いますか?」
…10 分経っても、まだ「どの数字が正しいか」の確認から始まっています。
この状態は、分析力不足というより 信頼できるデータの設計不足 です。
2. 現場で起きること
SQL が書ける人が増えても、次のような症状は残りやすいです。
| 症状 | 現場での声 | だいたいの原因 |
|---|---|---|
| 同じ「売上」なのに数字が違う | 「どっちが正しいんですか?」 | 指標定義が揃っていない |
| 会議のたびに定義確認から始まる | 「また定義から?」 | SSOT(Single Source of Truth、信頼できる唯一の参照元)がない |
| ダッシュボードを見ても納得できない | 「この数字、説明できますか?」 | データの来歴(Lineage、加工経路)が見えない |
| 同じ集計 SQL を何人も保管している | 「私の SQL が正しいはず」 | 再利用できるマートがなく属人化している |
| 品質問題に気づくのが遅い | 「先週まで合ってたのに…」 | 分析前の品質チェックが習慣化していない |
| 個人情報の扱いが曖昧 | 「この列、見ていいですか?」 | 権限・ガバナンス(Governance、データ利用のルール)が未整備 |
次の図は、さくら商事の経営会議前によく起きる状態です。 参照元がバラバラだと、どれだけ SQL が書けても会議は前に進みません。
1.20億
返品前"] E["Excel
1.15億
経理"] S["SQL
1.18億
暫定JOIN"] H(("売上
定義不明")) M["経営会議
「どれが正?」"] L --> H E --> H S --> H H --> M classDef source fill:#fff7ed,stroke:#f97316,color:#1f2937 classDef hub fill:#eff6ff,stroke:#1e3a8a,color:#1f2937 classDef alert fill:#fef2f2,stroke:#dc2626,color:#1f2937 class L,E,S source class H hub class M alert
見ているのは計算ミスではなく、正本の不在 です。 マーケ、経理、基盤チームはそれぞれ「自分の数字」は合っているつもりでも、組織としては説明責任を果たせていません。
3. 「売上 1 億 2,000 万円」の中身をほどく
さくら商事で「6 月の売上」を調べると、次のような差が出ました。
| 参照元 | 6 月売上 | 含め方の違い |
|---|---|---|
| マーケ Looker | 1 億 2,000 万円 | 広告経由 CV のみ、税込、キャンセル除外 |
| 経理 Excel | 1 億 1,500 万円 | 会計計上ベース、返品反映、税抜 |
| 基盤 SQL | 1 億 1,800 万円 | status = 'completed'、税込、返品未反映 |
3 つとも「間違い」ではありません。 定義が違う のです。
現場メモ
マーケの田中さんは「広告効果を見たいので CV ベースで見ている」と説明できます。 経理の佐藤さんは「会計上の売上高なので返品を反映する」と説明できます。 基盤の鈴木さんは「注文 DB の完了ステータス合計」と説明できます。
問題は、会議で「売上」と一語で呼んでいる ことです。
ここで必要なのは、もう一つ SQL を書くことだけではありません。
- 何の売上か を言葉で定義する
- どこを正本にするか を決める
- 誰がその定義の責任者か を決める
これがデータマネジメントの出発点です。
4. SQL が書けても足りない理由
data-analytics-fundamentals では、売上や CVR を SQL で計算する方法を学びます。
たとえば完了注文の売上は、次のように書けます。
SELECT
SUM(total_amount) AS sales
FROM orders
WHERE status = 'completed';
この SQL 自体は有用です。 しかしさくら商事では、次の論点が SQL の外にあります。
| 論点 | SQL だけでは足りない理由 |
|---|---|
| 返品をいつ差し引くか | ビジネスルールと経理処理の問題 |
| 広告 CV と会計売上の違い | 指標の目的が違う |
| テスト注文を除外するか | 運用ルールと責任分担の問題 |
| この数字を誰が公表してよいか | 権限とガバナンスの問題 |
つまり、SQL は「定義が決まったあと」に強力になる道具 です。 定義と責任が決まっていないと、正しい SQL を複数本書いても、組織としては信頼できる数字になりません。
現場メモ
新人アナリストの山田さんは、先輩から渡された SQL をそのまま使い、Looker に載せました。 先輩の SQL は「返品未反映」だったため、経理数字との差が毎月出続けました。 山田さんのスキル不足ではなく、定義と正本が共有されていなかった のが原因です。
5. データマネジメントとは何か
ここでのデータマネジメントは、次のような活動全体を指します。
データを組織の資産として、その 生成・保存・加工・活用・廃棄 までのライフサイクル全体にわたり、正確性・一貫性・安全性・可用性 を担保しながら計画・実行・監督すること。
ポイントは次の 3 つです。
- データを集めること自体が目的ではない
- 意思決定、業務改善、説明責任を支えるための「信頼できる燃料」を整えることが目的です。
- ツールを入れれば終わりではない
- DWH や BI ツールがあっても、定義・品質・権限がなければ症状は残ります。
- 一人の SQL 力だけでは組織問題は解けない
- 誰が定義を決め、誰が品質を見て、誰が利用を許可するかが必要です。
さくら商事の例に戻ると、必要なのは次のような状態です。
| 今 | 目指す状態 |
|---|---|
| 「売上」が一語で曖昧 | 「6 月・完了注文・税込・返品反映後」のように定義できる |
| 参照元がバラバラ | SSOT(Single Source of Truth)として会議用の正本がある |
| 説明責任者が不明 | 指標オーナー(Data Owner)が決まっている |
| 品質問題が後追い | 分析前に確認する習慣がある |
このカリキュラムでは、これらを 現場の困りごと → 判断 → 次の一手 の順で学びます。
6. この章で扱わないこと
入門の初章なので、次の内容は 後の章または別トラック に回します。
| トピック | 扱い |
|---|---|
| DAMA-DMBOK の全体地図 | Stage 2 |
| ER 図とオントロジー(Ontology)の違い | Stage 2 |
| レイク / DWH / マートの設計 | Stage 3 |
| 品質ルールとインシデント対応 | Stage 4 |
| 権限・ガバナンスの詳細 | Stage 5 |
| dbt の書き方 | 別カリキュラム(将来) |
初章の役割は、「なぜ学ぶのか」を 自分ごと にすることです。
体系コラム:カリキュラム上の位置づけ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| Stage / 章 | Stage 1 — 第1章「信頼できるデータがないと起きること」 |
| 今回の論点 | SQL 以前に、定義・正本・責任がないと組織は数字を信じられない |
| DAMA 領域 | (全体の入口)データガバナンス、データ品質への動機づけ |
| ライフサイクル | 全段階の 症状 を俯瞰。特に活用段階で問題が表面化 |
| 前章との接続 | 入門トラックの起点。データアナリティクス入門 の SQL 学習の「その先」 |
| 次章への伏線 | 誰が何を担うか — 症状の裏にある責任の空白 |
コラム:よくある誤解 —「SQL が書ければデータ問題は解決する」
さくら商事の基盤チームでは、優秀な SQL エンジニアが複数います。それでも経営会議の冒頭は数字の定義確認から始まります。よくある誤解は、「もっと速いクエリ」「もっと綺麗なダッシュボード」を入れれば揃う、という発想です。
新人の山田さんも最初は、先輩の SQL をそのまま使えば数字は合うはずだと考えていました。実際には、返品反映の有無・税込税抜・期間の切り方が SQL の外側でバラバラに決まっていたため、正しいつもりの集計が 3 本乱立しました。計算そのものより 何を数えるか が先です。
もう一つの誤解は、「データマネジメント=DWH や BI ツール導入」と捉えることです。さくら商事は BigQuery と Looker を既に持っていますが、ツールが増えるほど参照元が増え、会議は長くなりました。ツールは 定義と責任が決まったあと に威力を発揮するインフラです。
木村さんが最初に変えたのは、追加の SQL ではなく「公式売上を誰が決めるか」という問いかけでした。データマネジメント入門は、この視点転換から始まります。
まとめ
| 症状 | よくある原因 | 最初に疑うべきこと |
|---|---|---|
| 売上数字が合わない | 定義の不一致 | 「何の売上か」を言葉で確認 |
| 会議が定義確認で止まる | SSOT の不在 | 会議用の正本があるか |
| ダッシュボードを信頼できない | 来歴・品質の不透明さ | いつ・誰が・何を加工したか |
| 同じ SQL が乱立する | 再利用設計不足 | 分析用の共通表があるか |
この章のキーメッセージ:
SQL が書けることと、組織が信頼できる数字を使えることは別問題です。 さくら商事のように数字は出せても会議が進まないとき、必要なのは追加の集計より 定義・正本・責任・品質 です。 それを整えるのがデータマネジメントです。
次に読む
- 次章(同一トラック): 誰が何を担うか — 責任の空白地帯を整理する
- 関連(Analytics Engineering): 指標定義: 売上、CVR、継続率をそろえる — SQL で書く前の定義の考え方
- 関連(スキルチェック): 15 問で現在地を確認する — データマネジメント軸の自己評価
確認問題
問題 1
さくら商事の経営会議で、マーケ・経理・基盤チームの「6 月売上」が一致しませんでした。 このとき 最初に確認すべきこと として最も適切なのはどれですか。
A. 3 チームの SQL 実行速度とインデックス設定
B. 「売上」に含める対象・期間・税/返品の扱いなどの定義
C. Looker Studio のグラフ色と凡例の見やすさ
D. 経理 Excel のマクロが最新版かどうか
正解: B
解説: 数字が食い違う典型原因は、計算ミス以前に 定義の不一致 です。性能や見た目、Excel マクロは二次的な確認です。データマネジメントでは、まず「何を数えているか」を言葉で揃えます。
問題 2
新人アナリストが先輩の SQL をそのままダッシュボードに載せ、経理数字との差が毎月出続けた。 この事例で 最も本質的な問題 はどれですか。
A. 新人の SQL スキル不足
B. 先輩の SQL が古い
C. 指標定義と正本が組織として共有されていない
D. ダッシュボードツールの機能不足
正解: C
解説: SQL そのものが動いていても、返品反映などの 定義と正本(SSOT) が共有されていなければ、正しいつもりの数字が複数存在します。これは個人スキルより組織設計の問題です。
問題 3
「データマネジメント」と聞いて、さくら商事の文脈で 最も近い説明 はどれですか。
A. BigQuery や Looker などのツールを導入すること
B. 分析用 SQL をできるだけ多く書くこと
C. データを信頼できる資産として、定義・品質・権限・責任まで含めて整えること
D. 統計検定に合格すること
正解: C
解説: データマネジメントはツール導入や個人の SQL 量ではなく、ライフサイクル全体を信頼できる状態にする 活動です。資格学習は別の学習目標です。
用語メモ(この章)
| 用語 | 意味(この章での使い方) |
|---|---|
| データマネジメント(Data Management) | データを資産として、ライフサイクル全体で正確・一貫・安全に扱う仕組み |
| SSOT(Single Source of Truth) | 組織が「この指標はここを見ればよい」と合意できる唯一の参照元 |
| ガバナンス(Governance) | 誰がどのデータをどの目的で使えるかを決めるルールと運用 |
| リネージ(Lineage) | データがどこから来て、どの加工を経て今の表になったか |