誰が何を担うか:データ関連ロールと責任の空白
Stage 1 — 第2章 | データマネジメント入門 推定学習時間:35〜45分 | 難易度:★★☆☆☆
この章で学ぶこと
前章では、さくら商事で「売上」の数字が揃わない症状を見ました。 そのとき現場でよく起きるのが、「誰かが直せばいい」では終わらない ということです。
データエンジニア(Data Engineer)だけが直す問題でも、経理だけが決める問題でもありません。 役割ごとに担うべき責任 が違うからです。
この章では、データマネジメントに関わる主要ロールを整理し、さくら商事で 責任の空白地帯 がどこに生まれるかを見ます。
この章を終えると、こんなことができるようになります:
- データエンジニア、アナリティクスエンジニア(Analytics Engineer)、アナリスト、データスチュワード(Data Steward)などの 役割の違い を説明できる
- 「この問題、誰に聞けばいいか」をロールから判断できる
- 指標やマスターデータ(Master Data)に オーナー(Owner) がいないと何が起きるか説明できる
- 小さな組織で兼任が起きるとき、最低限決めておくべき責任を挙げられる
1. 前章の続き:責任者がいない会議
さくら商事の経営会議で「6 月売上」の不一致が話題になったあと、次のやり取りが Slack に残りました。
#data-help(社内チャンネル)
経理・佐藤:「Looker の売上、経理数字と 500 万円差があります。SQL 直してください。」
基盤・鈴木:「どの定義が正ですか? 返品反映前後どちらを SSOT(Single Source of Truth)にしますか?」
マーケ・田中:「うちの CV ベース売上は正しいです。広告効果測定用です。」
経営・木村:「じゃあ“公式売上”を一つ決めて。誰の仕事?」
…既読スルーが 3 人。
ここで足りないのは、SQL の速度でも BI の見た目でもありません。 「公式売上を決め、維持し、変更を管理する責任者」 です。
2. データマネジメントに関わる主要ロール
肩書きは会社ごとにバラバラです。 だから 機能(何を担うか) で覚えると、現場で迷いにくくなります。
| ロール | よくある呼び方 | 主な責務 | 典型アウトプット |
|---|---|---|---|
| データエンジニア(Data Engineer) | DE、基盤エンジニア | データの収集、パイプライン、基盤運用 | ETL/ELT、DWH(Data Warehouse)、監視 |
| アナリティクスエンジニア(Analytics Engineer) | AE、分析基盤 | 分析しやすい形への変換、マート設計 | 変換 SQL、データマート、テスト |
| データアナリスト / BI 担当 | アナリスト、BI | 指標設計、レポート、意思決定支援 | ダッシュボード、分析メモ |
| データスチュワード(Data Steward) | スチュワード、項目オーナー | 項目・指標の定義、品質の日常管理 | データディクショナリ、定義書 |
| データオーナー(Data Owner) | 部門長、指標オーナー | ビジネス上の正しさ と利用承認 | 指標定義の最終合意 |
| データガバナンス担当 / DPO | ガバナンス、DPO | 規程、権限、コンプライアンス | 利用規程、アクセス方針 |
| CDO / データ統括 | データ統括、DX 推進 | 優先順位、投資、全社方針 | ロードマップ、標準 |
2.1 ロールは「部署」ではなく「責任の種類」
さくら商事では、鈴木さん一人が DE + AE + 基盤運用 を兼任しています。 田中さんは マーケ担当 + ダッシュボード作成 です。
兼任自体は悪ではありません。 問題は、どの帽子を被っている状態で判断しているか が見えないことです。
| 状況 | 被っている帽子 | 求められる判断 |
|---|---|---|
| 返品 CSV の取込が止まった | DE | パイプライン復旧、再実行 |
| 「売上」に返品を含めるか | スチュワード / オーナー | 定義の合意と文書化 |
| 経営会議用の数字を出す | オーナー + AE | SSOT からの提供 |
| 個人情報列を見せていいか | ガバナンス / DPO | 利用目的と権限の確認 |
現場メモ
「SQL 書いて」は DE/AE の仕事に見えて、実は 定義未決のまま実装を求めている ケースが多いです。 さくら商事の佐藤さんの「SQL 直して」も、本来は先に どの売上が公式か の判断が必要でした。
3. さくら商事の「6 月売上」をロールで分解する
前章の 3 つの数字を、ロールの観点で見直します。
| 参照元 | 数字 | 担っているロール | 足りないもの |
|---|---|---|---|
| マーケ Looker | 1 億 2,000 万円 | アナリスト(マーケ) | 全社 SSOT である宣言 |
| 経理 Excel | 1 億 1,500 万円 | 経理(業務オーナー) | 分析基盤への反映 |
| 基盤 SQL | 1 億 1,800 万円 | AE/DE(実装) | ビジネス定義の承認 |
ここで必要なのは、次の 3 点を 明示的に割り当てる ことです。
- ビジネスオーナー — 「公式売上はこれ」と決める人(例: 経営企画 or 経理責任者)
- スチュワード — 定義を文章化し、変更を記録する人(例: 基盤 + 経理の兼任でも可)
- 提供責任 — SSOT として配布する表や指標を運用する人(例: AE/DE + 基盤)
【さくら商事・公式売上(仮の整理案)】
指標名: 月次公式売上(経営会議用)
定義: status = 'completed'、税込、返品反映後、テスト注文除外
期間: order_date ベース
SSOT: mart_finance_monthly_sales(DWH 上のテーブル名・仮)
ビジネスオーナー: 経理部長
スチュワード: 鈴木(基盤)+ 佐藤(経理)
このメモが 1 枚あるだけで、Slack の「誰の仕事?」はかなり減ります。
4. 責任の空白地帯:よくある 4 パターン
4.1 「みんなのデータ」問題
症状: 顧客マスタ、商品マスタ、売上定義が「どこかにあるはず」で、更新責任が不明。
さくら商事では、商品カテゴリ名が EC 管理画面 / 分析用 CSV / 経理コード で微妙に違い、マーケの田中さんが手作業で置換していました。
| 空白 | 結果 |
|---|---|
| 商品マスタのオーナー不在 | カテゴリ分析のたびに手修正 |
| 変更通知なし | 先月のレポートと今月で分類がズレる |
| スチュワード不在 | 「この category 何?」が Slack で毎回 |
埋め方: マスターデータごとに オーナー + スチュワード を 1 行で決める。
4.2 「作った人がいなくなった」問題
症状: ダッシュボードや SQL の作者が退職・異動し、定義が説明できない。
山田さんが引き継いだ Looker ダッシュボードは、作者のメモがなく、フィルタ条件の意味が分かりませんでした。
| 空白 | 結果 |
|---|---|
| 引き継ぎドキュメントなし | 修正が怖くて触れない |
| オーナー不明 | 改修依頼が基盤に丸投げ |
| テスト不在 | 直したつもりが別数字に |
埋め方: 指標・マート単位で オーナー、更新頻度、定義リンク を残す(後の Stage でメタデータとして詳述)。
4.3 「ツールは入れた」問題
症状: DWH や BI は導入したが、誰が何を標準として使うか決まっていない。
さくら商事は BigQuery 上に DWH がありました。 しかしマーケは Looker、経理は Excel、CS は別 SaaS のエクスポートを見ていました。
| 空白 | 結果 |
|---|---|
| SSOT 未指定 | ツールが増えるほど数字が増える |
| ガバナンス弱い | 個人 DB コピーが増殖 |
| AE 不在 | DWH が「置き場」で終わる |
埋め方: 「会議で使う数字はここ」という 利用シーンごとの SSOT を先に 1 つ決める。
4.4 「現場判断でなんとか」問題
症状: 品質や権限の判断を、その都度アナリスト個人に委ねている。
返品データ 2 日分欠損があったとき、山田さんは 自分の判断で前日値を補完 し、ダッシュボードを更新しました。 後日、経営が「なぜ急に上がった?」と質問し、説明不能になりました。
| 空白 | 結果 |
|---|---|
| 品質インシデントの報告先なし | 個人判断で穴埋め |
| オーナー不在 | 止めるべき数字を止められない |
| ガバナンス不在 | 説明責任が個人に残る |
埋め方: 「疑義が出たら誰に、いつ、何を報告するか」を インシデントの型 として決める(Stage 4 で詳述)。
5. 小さな組織での現実的な割り方
さくら商事のように データ基盤 1〜2 名 の組織では、全ロールを専任配置できません。 その場合でも、次の 最低限 3 点 は分けて考えます。
| 最低限決めること | 例(さくら商事) | 兼任でもよいが「役割」は分ける |
|---|---|---|
| ビジネスオーナー | 公式売上 → 経理部長 | 経営判断の最終責任 |
| スチュワード | 指標定義の文書化 → 鈴木 + 佐藤 | 変更履歴を残す |
| 基盤提供 | SSOT テーブルの運用 → 鈴木 | パイプラインと配布 |
兼任のコツ:
「今日は SQL を書く日(AE/DE)」と
「今日は定義を決める日(スチュワード/オーナー)」を
同じ会議で混ぜない。
現場メモ
定義会議に SQL の細かいチューニング話が入ると、2 時間経っても「公式売上」が決まりません。 さくら商事では、木村さんが「今日は定義だけ」と会議タイトルを変えたら、初めて 1 時間で合意できました。
6. 経営・現場・基盤の接点
データマネジメントは 経営の意思決定品質 と直結します。
| 立場 | 求めること | データマネジメントでの役割 |
|---|---|---|
| 経営 | 説明可能な数字、速い判断 | SSOT と指標オーナーの指定 |
| 現場(営業・マーケ) | 自分の KPI が信頼できる | 定義の透明性、更新通知 |
| 基盤 | 無限の ad hoc 依頼を減らしたい | 標準マート、ガバナンス、優先順位 |
| 経理・法務 | コンプライアンス | 権限、保持期間、利用目的 |
CDO(Chief Data Officer)やデータ統括がいなくても、経営が「公式数字のオーナーを指名する」 だけで前進します。
体系コラム:カリキュラム上の位置づけ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| Stage / 章 | Stage 1 — 第2章「誰が何を担うか」 |
| 今回の論点 | 数字不一致の根は、DE/AE の能力不足ではなく ロールと責任の空白 |
| DAMA 領域 | データガバナンス(役割・責任)、データスチュワードシップ |
| ライフサイクル | 加工・活用段階で「誰が公式と言えるか」が問われる |
| 前章との接続 | 信頼できるデータがないと起きること の症状を、担当者の観点で分解 |
| 次章への伏線 | データのライフサイクル — 責任を「データの一生」の各段階に配置する |
コラム:さくら商事メモ — 公式売上オーナー指名の 1 時間
2026 年 6 月、木村さんは「定義会議」と題した 1 時間だけの枠を設けました。議題は SQL の最適化ではなく、公式売上のビジネスオーナー だけです。
佐藤さん(経理)は会計計上の定義を、田中さん(マーケ)は CV ベース売上との違いを、鈴木さん(基盤)は SSOT 候補テーブル名を提示しました。争点は「返品をいつ差し引くか」で、技術ではなく 経理ポリシー の話でした。
結果、ビジネスオーナーは経理部長、スチュワードは佐藤 + 鈴木、SSOT は mart_finance_monthly_sales(仮)と 1 枚のメモに落ちました。Slack の「SQL 直して」は「定義メモを見てから実装」に変わりました。
この 1 時間で決めたのは完璧な定義ではありません。しかし 誰に聞けばいいか が分かった時点で、Stage 1 の半分は終わっています。
まとめ
| ロール | 一言で |
|---|---|
| DE | データを 流す・貯める |
| AE | 分析用に 整える |
| アナリスト | 問いに答える |
| スチュワード | 定義と品質を 維持する |
| オーナー | ビジネス上 正しいと認める |
| ガバナンス / DPO | 安全に使える ルールを作る |
この章のキーメッセージ:
数字が揃わないとき、最初に疑うのは SQL の書き方だけではありません。 誰が定義を決め、誰が維持し、誰が公式として提供するか が決まっていない可能性があります。 さくら商事の次の一歩は、ツールではなく 「公式売上」のオーナー指名 です。
次に読む
- 前章: 信頼できるデータがないと起きること
- 次章:
s1-p3-lifecycle-overview— データのライフサイクル(生成から廃棄まで) - 関連: 指標定義: 売上、CVR、継続率をそろえる
確認問題
問題 1
さくら商事で「6 月公式売上」を SSOT として整備するとき、最初に指名すべき役割 として最も適切なのはどれですか。
A. BigQuery のクエリを最速に書けるデータエンジニア
B. ビジネス上「この定義で正しい」と認めるデータオーナー
C. Looker のグラフデザインに詳しいアナリスト
D. SaaS 連携ツールのベンダーサポート
正解: B
解説: SSOT は 技術配置 ではなく ビジネス合意 が先です。DE/AE は合意された定義を実装・配布しますが、「公式売上」の中身を決めるのはオーナーの責務です。
問題 2
商品カテゴリ名が EC / CSV / 経理コードでバラバラになり、マーケ担当が手作業で置換している。 この状態を 最も適切に説明 しているのはどれですか。
A. アナリストの Excel スキル不足
B. マスターデータのオーナーとスチュワードが決まっていない
C. DWH のストレージ容量不足
D. 統計検定の知識不足
正解: B
解説: カテゴリの揺れは マスターデータ管理 の問題です。誰が正を更新し、誰が変更を通知するかが決まっていないと、現場の手作業が恒久化します。
問題 3
返品データ欠損時、新人アナリストが独断で前日値を補完し、経営に説明できなくなった。 この事例で 不足していたもの として最も本質的なのはどれですか。
A. より高度な欠損値補完アルゴリズム
B. 品質疑義の報告先と公開前の判断ルール
C. ダッシュボードの色使い
D. 新しい BI ツールの導入
正解: B
解説: 欠損への対処は個人判断に委ねず、止める・報告する・オーナー判断を仰ぐ という運用が必要です。これはロールとガバナンスの設計問題です。
用語メモ(この章)
| 用語 | 意味(この章での使い方) |
|---|---|
| データスチュワード(Data Steward) | 項目・指標の定義と品質を日常管理する役割 |
| データオーナー(Data Owner) | ビジネス上、そのデータや指標の正しさに責任を持つ役割 |
| DPO(Data Protection Officer) | 個人情報保護・コンプライアンス観点の責任者(組織により兼任) |
| SSOT(Single Source of Truth) | 組織が合意した唯一の参照元。ロール分担とセットで機能する |